近所のおたくフレンドリーな書店で、試し読み企画で販促されていた。
かわいいものが大好きで、ミシンや毛糸でグッズを作って通販したり店に卸したりして生活している椿太郎くんが、偶然近所に住んでいた中学の同級生(とその娘)に再会して、少しずつ仲良くなって家族になっていく(not恋人)ほのぼのまんが。

癒されました~(ほわーん)。

恋愛感情とかSE×とかがなくても、家族になるのって、すごくいいなぁ。逆に男女+子どもだと、恋愛感情とかその先がありえない状況にはなりえないので、そういう意味で男2人+子どもというのは安心して読める。
いつのまに出ていたんだ「窮鼠はチーズ」の続編!!!

今ヶ瀬~っ。

というか、水城せとなって天才だと思う。




こちらもちゃんとした感想は週末に。
大変エキサイティングにおもしろかったのですが、書きたいことがありすぎるので感想は週末に~。

というわけで週末。

こういう女装論とか同性愛論って、研究者による外側からの研究は本質を突いていないもどかしさがあったり、逆に当事者が語ると主観的すぎてツッコミどころ満載なことになったりするもので、最初に書店でこの本を見かけたときも、また当事者の思いいれたっぷりな本なんだろうと思って手に取りませんでした。

でも、昼間の仕事関係の個人ブログ(おそらく当事者ではない)で評価されていたので、たまたま読む本がなかったこともあって買って読んでみた。
大変エキサイティングにおもしろかった。

大きく前半と後半に分かれていて、前半は、著者が膨大かつ一般的でない多数の文献から、日本の文化における女装の歴史を解き明かす。
後半は、著者が自身の経験を語りつつ現代の女装について解説する。
で、この前半部分が、もちろん著者の学究的な主張に偏ってはいるけれど、アカデミックな訓練が行き届いた記述に非常に安心感を覚えて読み進めました。
大変アカデミックなので、普通に読んだらポ■ノになりかねない部分も普通に読めましたし。
そんなわけで著者の前半の主張は、「古来日本の文化では異性装は宗教や祭りの場で普通に受け入れられていたけれど、明治期の西洋化によって”変態”として認識されるようになった」ということ。

後半は、現代の女装者としての著者の事例を紹介しつつ、混同されやすい「女装者」と「同性愛者」の違いを切り分けるのですが、やはり「自分語り」になるとやや客観性が薄れるものの、まあ読めないほどではありません。
私はあらかじめ、女装と同性愛者の違いは理解していましたが、新宿の繁華街において場所のすみわけが出来ていることは知りませんでした。どちらも二丁目に集まっているのかと思っていたら、前者はどちらかといえば歌舞伎町のほうが中心なんですね。このへん、きちんと地図に店の場所がマッピングされた図があって、非常に参考になりました。(←なんの?/笑)

さらに感心したのが、カトゥーイ(女装)文化の根付いているタイと、その周辺国における祭りでの女装文化、また中国の京劇や朝鮮半島に近現代まで残っていた女装の巫子の文化を引き合いに出して、恐らく東~東南アジアには共通して女装文化が存在していたのだろう、という指摘と、現在、特にタイと日本で女装が受け入れられているのは、この2国が植民地化を免れたために西欧キリスト教の価値観の押し付けを免れたからだろう、という主張。

でも、もちろんそのまま受け入れられない主張などもあります。
例えば、江戸期までは女装は日本の中で文化として受け入れられてきた、日本は女装者に優しい国、といいますが、そうは言っても日本で女装が受け入れられたのは、非日常の存在として、であっただろうと思います。ハレとケでいったらハレの部分でだけ。だから非日常の演出として男女が装束を取り替えるとか、宗教場面で神と人間の仲介としての役割を与えられるとかはあっても、日常の場面で女装はありえなかったと思います。
それは現代のマスコミでの扱いにも感じていて、あらかじめ女装は非日常であって自分たちに直接関係ないパラレルワールドな存在、という前提があるからその存在を許されているように感じています。西欧の近世の宮廷にいた道化や小人みたいに思えるんです。
それって、果たして本当に「女装者に対して寛容」と言えるのかな……?
日本でも、非日常の存在である女装者がいきなり日常に割り込んできたら、つまり、ブラウン管の向こうとか夜の街とかでなく、職場の隣の席に女装者がいたら、やっぱりかなり激しい排除にあうんじゃないかと思うんですが、どうだろう?
まあ、キリスト教原理主義な人たちにいきなり撃たれる心配はないだけましなのかもしれませんが。
知人の職場の後輩の男性が、ある日を境にいきなり女装で勤務し始めた、という話を聞いたことをふと思い出しました。いきなり解雇とかいじめとかって話にはならなかったと聞いたと記憶していますが、やはりしばらくして退職したとのことでした。

もうひとつ、それは違うんじゃないかと思ったのは、この本でなくてこの著者が先週発売された週刊誌のコラムに書いていたことなんですが、ゲイタレントや女装者のメディア露出が多いのに対して、レズビアンや女性の男装者は、メディアでもほとんど取り上げられず、不可視化されているのを問題視していました。
それは、見るほうも見ないようにしているのかもしれませんが、見られるほうも見られないようにしているのではないかと思います。
卑近な例で言えば(笑)、男性のオタクがメディアでもよく取り上げられてある種のステロタイプなイメージが一般に浸透しているのに対して、腐女子がほとんど話題にならず、いっとき乙女ロードや執事喫茶が話題になってもすぐに沈静化するのって、腐女子の大部分が「メディアにおもしろおかしく取り上げられたくない」「世間に迷惑を掛けずにこっそり好きなことをやっているんだから、ほっといて」というメンタリティでいるからだと思います。
同じことが、男装者やレズビアンの人たちにも言えるんじゃないかなぁと思うのです。

それって、男性と女性の基本的な考え方の違いだと思います。
男性って、社会で自分が認められることに価値を置いているから、自分たちを評論したり、自分たちのことを語ったりしますけど、女性は基本的に、世間に受け入れられれば認められる必要性を感じてないんじゃないかなぁ。名より実を取る、というか。
もちろん、女性の中でも社会で認められたいと思う人もいるでしょうし、実際に生活上不都合を感じたときには、自分たちの存在を社会的に認められて権利を取得するほうに動こうとしますけど、そういう実利がなければあえて摩擦を起こそうとしないでしょう。
そういう意味で、この本の著者も、そういう部分では男性脳なんだろな、と思ったり。

なんていろいろと考えさせられる、という意味でエキサイティングな本でした。
高校の進学組で学ぶ8人の生徒たち。名門大学目指して受験勉強に励む彼らだったが、しかし太っちょの老教師・ヘクターは、そんな型どおりの受験勉強を超えた、深みのある教育に情熱を注いでいた。そんな中、名門オックスフォード出身の教員・アーウィンがやってくる。彼はまさに、ヘクターとは正反対の、型どおりの受験勉強を指導する教師だったのだが…。
1983年のイギリスを舞台に、名門大学を目指す高校生たちの青春を描く。ミュージカルの頂点を決めるトニー賞で6部門を制覇した同名舞台の映画化である。監督は『クルーシブル』のニコラス・ハイトナー。オリジナル・キャストを揃え、本場ブロードウェイ・ミュージカルの楽しさがたっぷり詰まった、青春熱血コメディである。


そもそもは、某所にてアラン・ベネット「やんごとなき読者」(白水社、2000円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4560092257
の書評を読んで興味が湧き、密林で買い物かごに放り込んだところ、ベネット脚本・ロンドンからブロードウェイに進出してトニー賞も受賞した舞台の映画化(けど日本ではDVDスルーとなった)作品だというこれをお薦めされたのでした。

ええ、別にゲ●が出てくるからとかそういうことは購入理由では……(げほげほ)。

舞台の映画化だからか登場人物や場面が切り詰められてこぢんまりとした印象で、舞台がどんなだったか想像できるようだっただけれど、さすがに脚本は秀逸で、テンポのいい、研ぎ澄まされた台詞とそこにぽんぽん挿入される皮肉に、つい引き込まれてしまいました。
ただ、登場人物が先生4人、生徒8人もいるので一人一人の書き込みは、映画にしては足りないかな、という感じも否めませんが、でもとても面白かったです。

キャストも舞台出演者はそのまま映画版に出演しているそうで、歌も上手いしピアノも弾いてます。

テーマは、昔ながらの教養としての古典の授業と、テクニックとしての受験向け授業との対比。けれども、昔ながらの授業をするヘクター先生も受験対策授業を教えるアーウィン先生も、お互いを貶めるでなく、ただ自分がよりよいと思う知識を生徒に伝えようとする。生徒たちはそれぞれがなにかを得て巣立っていく、という筋書きです。

や、ゲ……が出るとはいってもそれがメーンでは……ないと……多分(脂汗)。
でも、とある生徒が先生に粉かけるシーンは出色だったなぁ。若さの勢いと叩き込まれた弁論術でがんがん言葉で責める生徒にうろたえる先生(メガネ)萌え。



BookOffオンラインはとても悩ましいサイトで、欲しい本の入荷お知らせを登録しておくと、古本が入荷されるとメールでお知らせが来る。で、古本なので1冊300円とかそこらなのだけれど、1500円から送料無料になる。すると、ついつい1500円になるまで”喫緊に欲しいわけではないけれどいつか読みたい本”まで買ってしまう……。

この本も、ファンタジーノベル大賞を受賞したときから気になっていて、でもなかなか思い切って手に取れなくて、でもよくよく考えたら「ムジカ・マキーナ」と混同していた点もなきにしもあらず。(そしてムジカ・マキーナも未読……)
で、最近友達のブログで感想が書かれていたのを思い出し、送料無料の穴埋めに購入。

正直言うと、この落ちは王道というか、手を変え品を変えいろいろな形で書かれてきたテーマだと思う。それをひとつの作品として独立させているのは、その落ちに至るまでの論理の破綻のなさだろう。エピソードをひとつひとつ積み上げて、落ちに至るまでにとっぴな飛躍がない。

もうひとつは、音楽と科学技術に対する莫大な知識量。こういう事実をこれでもかというほど矢継ぎ早に繰り出されると、その中にするっとウソ(この場合はフィクション)が入ってきても読者はすんなり受け入れられる。

その上で、あえてわがままを言うならば、もう少し登場人物同士の気持ちの葛藤が読みたかったな……。
周辺の登場人物は紋切り型でも構わないけど、主人公と、その友人である天才オルガニスト、オルガニストとその師匠の葛藤をもっと、(わたしが斜め読みした/汗)オルガンの構造や『マンドラゴラ』の仕組くらいに嫌になるほど書き込んでくれたら、最後のオペラ(?)がもっと壮大になったような気がする。

やっぱり理系な人の小説かな、と感じました。
最近BL力(<なんだそれ)が落ちてて、いちおう買ってみるのにすぐ読む気になれない。
これも今日帰りに買ってきたのにすーっかり忘れてて、いま慌てて読みました。(慌てる必要はない。)

やっぱり石原理はおもしろいなぁ。色気担当の脇役カップルは1巻ではまだぜんぜんわからないんだけれども、主人公ペア(まだカップルじゃないから)がいい味だしてます。
まあ、がさつだけれど実は優秀な男くさい攻と、怜悧な美人で優秀な受という、ある意味王道ペアではあるのだけれど。
先が楽しみですが、他にも先を楽しみにしているマンガがあったような……。
アイロン掛けたりスカートのまつり縫いをしたりしながら見てました。

久しぶりに見て、いろいろ細かいところまで覚えているものだなぁと思いました。それだけ印象深い作品だということか。設定が斬新で筋書きがシンプルで、その上に台詞に描かれない人間描写をこれでもかと詰め込んで、贅沢な映画です。

そして、このころはイーサン・ホークもウマ・サーマンも、そしてジュード・ロウも若くてきれいだたな~としみじみしちゃいました……。(いえ、いまの彼らがどうこう言うつもりじゃなくて。主に誰かさんの前髪が←あっ)
受の片足が不自由、と聞いて、とうとうBLもここまで来たか、と俄然気になり、ようやく古本で入手しました。
無口な攻と、自分に自信がなくて本心を伝えられない受が、お互いに「自分だけが相手を想っている」と思いながら関係を持ち続けて10年。とある事件をきっかけに、お互いの気持ちが通じ合う、という話。
受の隣人である当て馬くんもいい味を出していて、恋愛部分はよかったのだけれど。

それゆえに、その他の部分のご都合な設定があっちこっちで引っかかって、ちょっぴり残念な読後感ではありました。

攻の実家がヤクザってことになってるんですが、こんな温いヤクザなら、他の設定でもこの話は成立したんじゃなかろうか……。

それと、当て馬くんの伯父である刑事さんを使いきれてなくてもったいない。というかあんな無礼な公務員がいたら訴えられるよ。4課だからいいのか?

受の片足不自由な原因が小児麻痺、ってのはちょっと古すぎやしないでしょうか? Wikiによれば、日本では1981年にポリオは根絶されているそうなので、この主人公が最後の患者だとしても、小2で発病したと記述があるので10年前の話になってしまいます。
ちゃんと病気のことを調べて書いてあるようなので、そこの詰めが甘いのが気になる……。
なぜこの本を読もうと思ったかというと、先日、アメリカ図書館協会が毎年発表している、「1年間で、図書館に置くのをやめろと抗議が来た児童書ベスト10」のリストに入っていたから。

ALA、「2008年に最も批判を受けた図書」を公表
http://current.ndl.go.jp/node/12619

Attempts to remove children’s book on male penguin couple parenting chick continue
http://www.ala.org/ala/newspresscenter/news/pressreleases2009/april2009/nlw08bbtopten.cfm

下のリストにはトップ10すべてが紹介されていて、批判された理由も載っています。
栄えあるトップ1のタンタンタンゴは仕方ないとして、ライラの冒険シリーズとかカイトランナー(映画も公開されてました。原作邦題は「君のためなら千回でも」)も入っているのでなんというかホモフォビアや宗教原理主義者の脳筋さ加減を笑うリストと思っております。

で、この本の批判理由は
Drugs, Homosexuality, Nudity, Offensive Language, Sexually Explicit, Suicide, Unsuited to Age Group
トップ10の中でも際立って批判理由の数が多い。というか、まあ、主に2番目の理由に引っかかって読んでみました(正直者)。

これは、自分の中のナイーブな部分に突き刺さる、傑作YA小説でした。

普通よりもちょっと感じやすくて不安定な心を持つチャーリーが、高校入学前日から、自分の心を自分が直接知らない「トモダチ」に宛てて手紙に書く。一方的に誰かに宛てて送る手紙で綴られる1年間の物語です。
ちなみにウォールフラワー、というのは、作中の主人公を評した言葉を引用すると、
「きみは観察する。そのことについて、なにも言わない。ただ、すべてを理解しているんだ」
ということであって、けっして日本語の、そして訳者が(多分誤解して)ルビを振っているような「壁の花」とイコールでは あ り ま せ ん 。

チャーリーは、内気なのではなくて、人と関われない、関わり方がわからない、パラノイアというか離人症というか、そのような心の病と正常との境目にたたずむ少年で、その彼が自分の不安定な心情を一人称で綴っているので、ちょっぴりアルジャーノンとか、最近も翻訳SFで自閉症の主人公一人称小説が出てましたが(未読)、それに近い雰囲気もあります。
ただ、彼の周囲の人たち――両親と兄姉、大切な友達、一人の教師――がとても理解があるまっとうな人たちなので、リアルではないかもしれないけれど、救われてます。

うがった読み方をすれば、「周囲の友達とうまく付き合えないけど、ケンカは強いし勉強も出来る、しかも”変わってる”ことにも理由がある、僕ってトクベツ」という中2病な人に受けるキャラクターなのかもしれませんが。

YA小説なので読みやすいしそれほど長くないし、休日出勤で埼玉の奥地まで往復した5時間で読みきりました。
ああ、堪能。

あ、そうそう、拒否理由その2は、主人公の友達にゲイがいる、というだけ(でもないけど)です。このゲイの友達とその彼氏がまた映画「同級生」っぽくってねぇ……。
いったい何度目になるのか定かではないけれど、またこのDVDを引っ張り出して観た。
何度観てもおもしろい。台詞をそぎ落とし、ディテールで語る語り口。
大海原の爽快さと、船という密室での濃い人間ドラマ。
想像を絶するような生活が当たり前だった人たちの描写。
生きることと死ぬことをあわせた人間賛歌。
は~堪能。

ウィアー監督っていま何か新しい作品撮ってるのかしら? そろそろ新しい作品がみたいな~。

「国立メディア芸術総合センター(いわゆるアニメ美術館)」構想の話。

箱モノ丸のみ?3兆円 『補正』衆院通過 『初めて要望』の施設もOKに
(東京新聞 2009年5月14日 朝刊)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009051402000053.html

(一部抜粋)===========================
 「アニメの殿堂」と話題を呼んだ「国立メディア芸術総合センター(仮称)」は文化庁が百十七億円で計画。担当者は「未来への投資。世界的に評価されている映画、アニメ、漫画、ゲームに力を入れ、関連産業の振興につながっていけば」と期待するが、漫画原作者でもある神戸芸術工科大の大塚英志教授は「国立の『漫画喫茶』がなぜ未来への投資になるのか。国家の庇護(ひご)下に入ること自体、表現の自由などの観点からリスクでしかない」と批判する。
===========================(以上)

……箱モノ作ってどうするよ?(嘆息) 開館5年後に閑古鳥がないてる景色がいまから目に見えるよ……。
これから作るなら、美術館じゃなくって「電子図書館」だろう。でもとりあえずはデータベースかな。箱モノだったら人がそこに行かなきゃ使えないけれど、オンラインで公開するデータベースなら、日本全国はもとより世界中の人が使えるよ? もちろん著作権のある作品はWeb上で全体公開はできないけど、書誌(アニメも”書誌”でいいのかな?)データを完備するだけでもすごいことだと思う。しかもすべて和英併記すれば、海外オタも使えて海外への情報発信だってカンペキ(笑)。

有明には、収集したマンガ・アニメ・ゲームを保管する倉庫があればいい。でもただの倉庫じゃダメよ? 当然、温湿度管理はカンペキ(もちろん、本とフィルムとゲームのデータでそれぞれ最適な温湿度の倉庫)で、戦後すぐに発行された酸性紙のマンガを脱酸処理(中性化)する施設も完備。

そこにキルタス(世界で一番高性能の、製本された本の自動デジタル撮影装置。1台2,500万円くらい。Googleがブック検索用に大量購入して使ってて、日本には、いま4台くらいあるらしい。)を10台くらい放り込んで、集めたマンガをすべて電子化。巨大なサーバー群も置いて、バックアップ用のサーバーを西日本あたり(地震が少ないのは山陰あたりか?)に設置。

書誌データの入力は、いま仕事のないオタクな若者たちを起用。オンラインで作業できるようにすれば、関東近県だけでなく全国的に雇用を創出。

画像データは公開しなくても、OCRで台詞だけテキスト化して使えるようにすれば、最近流行のテキストマイニングだとかで分析が可能になり、マンガ研究にも使える。
そうだ、海外の研究者には画像データ含めた全データ使えるようにするとかどうよ? 助成金制度作って、データベースを元にした論文書かせるの。
当然アニメの台詞もテキスト化。わたしゲームはやらないのでどういうデータを拾えるかよくしらないのでパス。
大雑把なあらすじと、表紙+何コマかは画像が見られるといいな。
あ、雑誌掲載時のデータと、単行本化、再版の時のデータはちゃんと分けてリンクして、比較も可能。あとがきや、枠外のマンガ家のつぶやきみたいな書き込みなんかもテキスト化。もちろん。

Web上で全文公開できない代わりに、どこで入手できるかがわかる。例えば蔵書のある図書館へリンクできるとかね。<Googleブック検索のパクリ。でもさすがに密林にリンクは貼れないだろうな、税金で作ったデータベースなら。
そして、著作権が切れた作品は即Web公開。
それから、注文したらオンデマンド印刷で本にして宅配サービスしてくれるといいな。アニメ美術館の入館料見込みの代わりに、マンガ販売しちゃえばいいのに。著者に20%くらい印税払えばみんな喜ぶと思う。(出版社以外)

……なんていうのはダメかな?
データベースっていうのは(というか箱モノも同じだけど)作ったときだけ立派でも、メンテナンスやデータ更新のことを役人は考えていないからすぐ使えない代物になってしまうので、データベース立ち上げのときに使い切れなかった予算は後のデータ追加に使えばいいのに。
いや、いまだったら、当初の立ち上げだけ税金を使って、データの追加・修正はWikiでやればいいのか。
そしたら、英語以外の外国語翻訳もWiki使えるようにするとか。
オタクなら絶対によろこんでタダで翻訳してくれるよ!

ああ、こんなデータベースがあったらいいのにな~。
ねこ鍋といい……
どうして眠っている猫って、こうシアワセ感に包まれているのだろう?

ネコ用壁掛けベッド
http://www.supermarkethq.com/product/curve-wall-mounted-pet-bed-walnut
(元はmixiニュースより)

ま、ホントにここで寝てくれるかは別問題ですね(笑)。



上巻を読んでからほったらかしていた下巻を読みました。
感想は後ほど。
映画が妙に気に入ったので、原作に手を出してみた。

原作ものの映画化の場合、たいてい原作のほうが気に入るのですが、これは映画のほうがいい、と思いました。
上巻を読んだ時点で、原作は吸血鬼ものというよりもティーンズ・ラブロマンス。吸血鬼という設定は「ちょっと変わってるけど誰からもゴージャスだと思われてワタシのことだけ好きな彼」の”ちょっと変わってる”要素でしかない。一風変わった彼は、人外だから変わったリアクションでもいいのかもしれないけれど、現時点では、急に怒り出すタイミングと機嫌を直すタイミングのパターンが読めなくて、感情移入しにくい。なので、映画の、そして吸血鬼ものの最大の見所である、「彼女への愛と食欲(というか本能)の葛藤に苦しむいい男」のその葛藤が見えにくくなっていて、萌えられない。
彼の葛藤が見えないので、主人公と彼がじりじりと間合いを詰めていく段階も、ちょっと冗長な感じが否めない。
むむむ、もったいない。

と、思うのもきっと映画のスピーディな展開が頭に入ってるからだろうとは思います。
この先どうなるかはわかっているんだから、焦らしてないでさっさと山場を見せろ!と思うのかしら。

とはいえ、上巻ではまだ吸血鬼バトルが始まっていないので、アクションが増えればおもしろくなってくるかも。

映画はポイントを抑えて上手く刈り込んであるなぁと、あらためて感心しました。

新刊が出ていたことにいまさら気づいて即購入。

そろそろネタが尽きるかと思ったけれど、相変わらずハイテンションなギャグマンガですね。
とはいえわたしは仏教もキリスト教も詳しくないので、取りこぼしているギャグも多いんだろうなぁと思うともったいない……。

バツいち子持ち同士のお話と、若社長とクラブのマネージャーの友情が恋に発展するリバあり話。(それと、他の作品のスピンオフ短編)
ようするに、どちらもノンケのいい大人同士が恋に落ちる話。
先日のノンケ攻特集でも書いたように、ノンケが恋を自覚するまでの葛藤(読み手にとっては「焦らし」)が好きなので、ノンケ同士というのは大好物です(笑)。
この本を読んで、特に大人のノンケ同士だと、いろいろと世間体とか立場とかが、恋を自覚したり自認したりすることをさらに困難にさせるので、さらに萌えることがわかりました。
ビバ ノンケ!(笑)

とはいえ、最近のBLではその手の描写が冒頭にないと読者を引き止めて置けないそうなので、ノンケ同士がゆっくり進展、なんて話は貴重なんでしょうね……。
ジャンル・ノンケ同士って成立しないのかな?

そういえば、このマンガを読んでてあちこちで笑いました。この絵のままでギャグなんだもの。

また、表題作では3歳児の可愛げのなさがいかんなく描写されていてタイヘンおもしろかったです。ギャースとそっくり返って泣き出すところとか、いきなり戻しちゃうところとか。
でも、保育園に通っている3歳児にしてはちょっと幼稚かなぁ。早くから集団生活しているとけっこう早く大人びるような気がする。といってもサンプルは甥・姪のみですが。

そして、ブログで他の方の感想を斜め読みしておりましたら、このマンガ家さんが男性だ、というウワサを見かけたのですが、真偽のほどは?

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