ボルチモアの新聞記者アニー・リード(メグ・ライアン)は、カーラジオで偶然聞いた番組に心ひかれた。それはリスナー参加のトーク生番組で、シアトルに住む8歳の少年ジョナー・ボールドウィン(ロス・マリンジャー)が「落ち込んでるパパに新しい奥さんを」といじらしいまでに切々と訴えていた。続いて電話口に出た父親サム・ボールドウィン(トム・ハンクス)の声が、彼女の胸に響いた。建築技師のサムは、1年半前に妻に先立たれてからのやるせない心境を淡々と語り出し、孤独で眠れぬ夜もあると告白する声にもらい泣きするアニー。その時から彼女の内部で何かが変わった。(Goo映画より)


これまで特にノーラ・エフロンに注目したことはなかったんですが、秋林さんの記事を読んでちょっと見てみたくなりまして。

「そんな簡単に『運命の人』がこの人だとわかったら楽でいいわよね~」
と思いつつ、その可愛いファンタジーにうっとり(笑)。
ケリー・グラントの「めぐり逢い」がモチーフになっていて、女がうっとりする「めぐり逢い」と、男が涙する「特効大作戦」の比較は、秋林さんも書かれていたけれどうまいなぁと思います。

メグ・ライアンがちょっと変わってるけれど好きになれる絶妙なキャラクタなのもうまい。好きになれないと見ていて共感できないし、あんまりまともな人だとああいうちょっとありえない行動(ある意味ストーカー/汗)を取るのが不自然になってしまう。

相手役がトム・ハンクスってのもツボを押さえてるよなぁ。

でも、じつは以前から気になっていたものの、あらすじを読むとなーんか「そんな話アリ?しかも相手がトム・ハンクス???」と思って観てなかったんですよね~。そこですごく損してる気がします。

コリン・ファースが出てカンバーバッチが出てゲイリー・オールドマンまで出て、その上衣装協力ポール・スミスなんだから、そりゃ観るでしょう。
と思いながらもなんだかんだとようやく今週見てまいりました。
(写真は原作本)

スパイ小説の大家ジョン・ル・カレの代表作を「ぼくのエリ 200歳の少女」のトーマス・アルフレッドソン監督、ゲイリー・オールドマン主演で映画化したスパイスリラー。1960年代のロンドン。ある作戦の失敗でイギリスの諜報機関サーカスを引責辞職したジョージ・スマイリーに、ある日特命が下される。それは、いまもサーカスに在籍する4人の最高幹部の中にいる裏切り者=2重スパイを探し出せというものだった。共演にコリン・ファース、トム・ハーディ、ジョン・ハートほか。(映画.comより) http://eiga.com/movie/57526/


先に見ていた友だちから「人間関係が複雑だから、先に相関図を見ておくといいよ!」と言われていたのだけれど、映画館の周りのパネルとかにそれらしいものがなくて、なんだろうなぁと思いながら結局相関図を見ずに鑑賞。
後から、チケットを買ったときに一緒に渡されたチラシに相関図があったと知ってかなりショック……。

とはいえ、上記3人とトム・ハーディが分かっていれば、顔の見分けが付かないことはなかったです。
原題を知っていたのでコードネームも3つは理解していたし。
それよりも、ビルだのジムだのピーターだのジョージだの、ありきたりなファーストネームのほうが覚えづらかった。映画のかなり早い方で、昔の仲のよかったころのとある2人の写真が出てくるのだけれど、この2人が現在の誰なのかがわからなかったのは、映画を理解するうえで大きな失敗でした…。

けれど人間関係で混乱したとしても、映画自体はとてもストイックで、不自然な説明台詞はそぎ落とされ1シーン1シーンの情報量が豊富で、英国的な雰囲気にどっぷり浸れる2時間でした。
コリン・ファースは当然スーツが似合うし、カンバーバッチも背が高いのでトレンチコートが似合うし、ゲイリー・オールドマンも枯れた風情が霧のロンドンによく似合う。

そうそう、主人公にとってとても重要なある2人は、映画の中で決して顔が映らない、その演出もすばらしいと思いました。


この映画、内容が複雑で1度では理解しきれないだろうから、と2回目は1,000円で見られるキャンペーンをやってます。
観に行ってしまおうかしら?
先日ツイッターで「いま年下の男との年の差カップルものにはまってて~」と呟いたら、いまネパールで働いてる高校時代の友人が「ホワイト・キャッスル」という小説をお薦めしてくれた。
(ついったーすごい!)
ホワイト・キャッスルはホワイト・パレスの間違いだったんだけど、それでも密林でヒットしないよ~と文句を言ったら、やっと邦題を思い出してくれた。
……「ぼくの美しい人だから 」!!
それならタイトルだけはよく知ってるよ!
ということで、本を読もうと思ったら20年も前の発行でBookOffでも入荷待ち状態だったので、先に映画を見てみた。

セントルイスの高級住宅地に住むエリート広告マン、マックス(ジェームズ・スペイダー)は、24時間営業のハンバーガーショップで働く中年女性ノーラ(スーザン・サランドン)と出会い、酒の勢いから一夜を共に過ごす。マックスは妻を、ノーラは幼い息子を事故で亡くし、互いに孤独を抱えていた二人。真剣な恋愛から遠ざかっていた彼らだったが、たちまち情熱的な恋に溺れていく。だが、性格も生活も違いすぎる二人は、事あるごとに衝突を繰り返すのだった…。


タイトルだけは知っていたのだけれど、もっとほのぼのロマンティック・コメディかと思ってました。
スーザン・サランドンの捨て身の下品な中年女役が真に迫ってて胸が痛い…(苦笑)。
でも、ジェームズ・スペイダーの年下男が恋人を見つめる子犬のような目に萌え(笑)。
そしてラストシーンの派手さには爆笑。いやー若い恋人って感じでいいわー♪

とはいえ、ストーリー的には、この2人の障害は年齢というよりも裕福なユダヤ人と貧しい白人(おそらくアイリッシュ?)との階級差にあるので、ノーラは自分が年上という点にはあまり葛藤がなくてちょっと物足りない。

ジェームズ・スペイダーの一生懸命な年下男っぷりがよかったので、他にどんな映画に出てるのかしら?と思ったら……
「ザ・ウォッチャー」?「セクレタリー」??
見たことあるけど、いったいどこにあの可愛い子ちゃんが出てた???
そして、Wikipediaで現在の姿を見て……脱力。

とはいえ、基本に忠実な由緒正しい年下男とのロマンス映画でした☆
秋林さんから「若い男の子が迷いなく自分を好きになってくれて大切にしてくれてめちゃくちゃがんばっちゃう」映画としてこれをオススメされたので、さっそくレンタルしてきました。

ハリー(ジャック・ニコルソン)は音楽業界で権威を振るう63歳の独身富豪。彼が付き合う女性は決まって30 歳以下の美女ばかり。そんなハリーが恋人マリン(アマンダ・ピート)と週末を過ごそうと彼女の母親の別荘にやってきた。そうとは知らずに妹のゾーイ(フランシス・マクドーマンド)と一緒に別荘を訪れたマリンの母親エリカ(ダイアン・キートン)は、突然あられもない姿で現れた“娘のボーイフレンド”に絶句!気まずい雰囲気の夕食の後、心臓発作に倒れたハリーは病院に運ばれ、エリカの別荘で療養生活を送ることになる。自分だけの静かな時間に持ち込まれた喧騒とハリーの病人らしからぬ傍若無人な振る舞いに、エリカの我慢も限界寸前。一方、彼の担当医となったジュリアン(キアヌ・リーブス)は病院で出会ったエリカに一目惚れ。20歳近くも年下の彼からの告白にうろたえるエリカ。そんな中、エリカは一つ屋根の下で暮らすうちに見えてきたハリーの内面に惹かれ始め、ハリーもまたエリカに対して無関心ではいられなくなっていた・・・。


先生!ここにワンコがいます!!
耳もしっぽもないけれどすっごい健気な瞳でご主人様を見上げて「待て」をしているワンコが!!!

はうー。わんこ(=キアヌ)萌えました~。
ジャック・ニコルソンも渋くて情けなくて可愛いおやじで好きなんだけど、
キアヌのすげーがんばって年上の彼女を落とそうとしているところがきゅんきゅんきました!

そして、ジャック・ニコルソンもきゅんきゅんしてるというコメンタリーも見なきゃですね。ラジャ!
イタリア旅行の帰りの飛行機で、「戦火の馬」(吹替)を見た。

1982年にイギリスで発表され、舞台化もされて成功を収めたマイケル・モーパーゴの小説を、スティーブン・スピルバーグ監督が映画化。第1次大戦下、農家の少年アルバートは毎日を共にしていた農耕馬のジョーイを軍馬として騎馬隊に売られてしまう。フランスの戦地に行くことになったジョーイを探すため、アルバートは徴兵年齢に満たないにもかかわらず入隊し、激戦下のフランスへと向かう。主人公アルバート役にイギリスの若手俳優ジェレミー・アーバイン。そのほかエミリー・ワトソン、デビッド・シューリス、ピーター・ミュランら名優が脇を固める。(映画.comより http://eiga.com/movie/55976/


戦争を背景に、一頭の馬を巡る様々な人の営みや善意を浮き彫りにする。
戦争自体は悲劇なのだけれど、人はそれぞれの立場で誠意を持って生きているところが救いになっている。それは同時に童話的ではあるのだけれど、素直に涙を流した。

それにしても、映画終盤になって「そういやこの映画、カンバーバッチが出てるんじゃなかったっけ?」と思い出したものの、どこに出てきたのかまったくわからなかった。
と、ついったーで呟いたら「あの人だよ」と教えて貰ったけれど、それでもピンとこなかった。
いやーカメレオン俳優さんですなぁ。

それと、「馬BL」と評している人がいたけれど、確かに。確かに。
公式サイト>http://www.foxmovies.jp/time/information/about/about.html

科学技術が進歩したことにより老化現象を解決した近未来、25歳で生体の成長が止まると余命はあと1年という社会が構築されていた。富裕層は寿命を気にしなくていい一方、貧しい人々は寿命を延ばすためにあくせく働き続けなければならなかった。貧しい青年のウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、時間と引き換えに裕福な男性を殺した容疑を掛けられ、追われる身となってしまい……。


「ガタカ」の監督の最新作と聞いて観に行きました。
ありそうでなさそうな、現代とは異なるものが価値とされる近未来、という設定はガタカと共通する魅力的なアイデアですが、
物語への昇華がちょっと甘かったかなぁと、少々消化不良気味。

たとえば開発途上国にお金を援助するだけじゃ、国は発展しないわけで、
そこにいかに産業を興して自立させられるかが問題になっていると思うのですが
この映画では、貧しいスラムに無尽蔵に(イリーガルな手段で)通貨としての「時間」を
ばらまくだけで、結局なんの問題も解決しないまま物語が閉じてしまうのがなぁ。

ガタカでは、劣性遺伝子を持った人間が差別されている社会体制自体は変わらないけれど
劣性遺伝子を持った主人公が、デザインド・チャイルドを差し置いて宇宙飛行士になる点が
カタルシスになってました。
(そのカタルシスが滅びと表裏一体だったところに物語のうつくしさがあるわけで)

むー。

とはいえ、ガタカ同様、「よくもこんな近未来的なロケ地を探してくるなぁ」と感心する
絵作りにはうっとりでした。
ガタカのユマも、TIMEのアマンダも、作り物めいた、デフォルメされたような美しさは共通。

でも、登場人物はみな外見25歳のはずなのに、警察に相当する「時間監視員(タイムキーパー)」はいい感じに煤けてて、25歳には見えないけれどいいオヤジだった。
……と思ったらキリアン・マーフィだったのか!

今年のGWに、老母と子育てが一段落した姉と3人でイタリアへ行くことになりました。

で、姉から「イタリアの観光とか世界遺産を紹介するDVDを買ってみんなでみよう!」と指示されて、主にBookOffから世界遺産だのイタリアの絶景だの世界ふれあい街歩きだのを取り寄せているんですが。

今週の水曜だったかのNHK「クローズアップ現代」で、アニメの舞台になった街を訪れる、いわゆる”聖地巡礼”が紹介されていたとき、NHKのアナウンサーが解説の先生に
「でも、昔から『ローマの休日』を見てスペイン階段に座る、なんてやってましたよね」
と尋ねているのを聞いて、
「そうだ! ローマの休日も見なきゃ!!」
と思いつきました。

ローマの休日と、同じオードリー・ヘップバーンの「パリの恋人」がセットで安くなっていたので、まあじゃあこれにしてみようか、と購入し、ローマの休日は母に渡してきて、とりあえずおまけのコレを見てみたわけです。

(長い前置き以上)

そんな訳で何の予備知識もなく再生を始めて、いきなり歌を歌い出されて驚き(笑)、慌ててパッケージをよく見たら「ミュージカル映画」とある。
なーんだ、そうだったのかー。
それなら、なんだかありえないような無理やり展開も納得。
とはいえ、こそばゆい台詞や気恥ずかしくなるようなキャラクタに時々目を逸らしながら見終えたのでした。

まあ要するに、パリ観光をしつつ「マイ・フェア・レディ」する話。
見所は、書店員オードリーがカメラマン・アステアに見初められてモデルデビューして身につけるジバンシィのおっしゃれーなドレス。
……などと書いたら、リンクを貼らせてもらっているボースンさんに怒られてしまいそうですね(大汗)。
でもこれは「マイ・フェア・レディ」より制作が先。

いちばん無理やりだなぁと思ったのが、書店員オードリーが傾倒しているフランスの哲学という触れ込みの「共感主義」なんですが、これって要するにヒッピー文化をあてこすってて、いやもうなんだか。
でも、共感主義を提唱しているフランスの哲学の教授はちょっとS.ジョブズっぽくて格好よかった。真っ黒い服を着ているところや、最後にインドに行っちゃうところもジョブズ意識していそう。



秋林さんのコメントを見て、この映画に興味が湧いて
「今度借りてこよう」と思っていたところ、
本日部屋を片付けたついでにDVDフォルダをぱらぱらっと眺めていたら
この映画、録画してあった(汗)。
見たかどうかは記憶にない……。

なので、掃除をしながらDVDをかけ流して見たので、細かい描写まで見ていない前提ではありますが
アイツBがなんでモリーを(身分違いを乗り越えて)好きになったかに
もうちょっと説得力があると、最後にモリーがアイツBを選ぶのも腑に落ちるのではないかと。
アイツAは、モリーにモーションかけるばかりで健気なのはいいけど
もうちょっとモリーに好きになって貰える努力をしましょう。(笑)

まあでも、モリーは遠くない将来アイツBと別れそうだという秋林さんの意見には賛成。


(モードチェンジ)
っていうか、悪役の、アイツBの親友は、モリーじゃなくてアイツBが好きなんだろ!というのが
BL脳の基本でしょう(笑)。

あと、モリーが男だったらよくあるBLだなぁと思った次第。

プールサイド
監督 : マルコ・ベルヘール
出演 : カルロス・エチェバリア、ハビエル・デ・ピエトロ、アントネラ・コスタ
2011年 / ドラマ / アルゼンチン / 87分
2011年ベルリン国際映画祭テディ賞

高校教師のセバスティアンは、目を怪我したと言う生徒マルティンを病院に連れていく。治療後、車で自宅へ送ろうとするが、マルティンは「家のカギを失くし、親と連絡もとれない」と巧みに嘘をつき、セバスティアンの家へ上がり込む。人目もはばからず、裸で部屋を歩き回るマルティンにセバスティアンは戸惑いを覚えるが…。

怪しげな魅力を放つ16歳の少年と、徐々に彼の虜になっていく高校教師。二人の微妙な距離と心の奥の探り合いを、独特のカメラワークであぶり出す異色の恋愛ドラマ。2011年のベルリン国際映画祭ゲイ&レズビアン映画部門(テディ賞)で見事大賞を受賞した。監督はアルゼンチンの新鋭マルコ・ベルヘール。

予告編 : http://www.youtube.com/watch?v=VpAnldMoR5w
(映画祭サイトより http://www.hispanicbeatfilmfestival.com/lbff2011/film_d.html


上の解説にある「怪しげな魅力を放つ」というのはちょっと言いすぎ(苦笑)。
マルティンは、どこにでもいそうなごく普通の男子高校生です。映画の冒頭で少年の身体の各部がどアップで映し出されるのですが、足の指に生えている毛まで(汗)はっきり映されて、しょっぱなから「ああ、美少年に中年男性が惑わされる話じゃないのね」と思い知らされます。

一方の中年教師も、男子高校生がうっかり惑ってしまうようなオヤジの色気のイの字もない、ただの草臥れたオヤジです。毛髪も心もとないし、体育教師だけれど身体が出来てるわけでもない。
少年がなぜ、この教師が気になり始めるのかは描かれず、ただ、気になって気になって仕方がなくて、下手なウソを吐いてなんとか先生の家に泊めてもらうまでが前半。
先生としては、男子生徒とはいえ未成年を家に泊めるのはバレると大変なことになるので、付き合っている彼女に「一緒に泊まってよ」と電話するのですが、バリキャリの彼女には断られる。
教師も「どうもおかしい」と思いながら何がおかしいのか分からないまま、不安な夜を迎えるのですが、
この前半部分のBGMがまるでホラー映画のように恐怖を煽るので、見ているこちらも、いつ男子高校生が送られオオカミ(?)と化して襲っちゃうかとハラハラしながら見ていました。

(以下ネタバレ)

結局何事もなくその夜は過ぎるものの、少年の下手なウソはすぐにばれて、教師は少年に「どうしてあんな嘘を吐いたんだ」と詰め寄ります。
そのときの少年の台詞がまずいい。
少年ももともとノンケで、おそらく自分の感情をもてあましていて、どうしていいか分からないままに突っ走っている、その困惑がこのひと言で読み取れて、すばらしいなぁと思いました。

二人が決裂した後、とある事件が起こります。

これによって教師の心に大きな傷ができる。今度は教師が、その傷の痛みをもてあまし、情緒不安定に陥っていき、最後にその感情に折り合いをつけるひと言を呟いたところで映画は終わります。
このひと言もまたいい。
多分これが教師の本音であり、やっぱり教師はノンケのままで、でも少年によってかき乱された気持ちや痛みは本物なのだということがひしひしと感じられます。

つまりこれは、「トーマの心臓」なのです。

(ネタバレ以上)

少年と教師の感情の揺れを、少ない台詞と、アップを多用したカメラワークで執拗に掘り下げていく心理描写に、質のいい短編小説を読んだような気持ちになりました。
性的な描写はほとんどゼロで、それでも恋の駆け引きの緊張感が非常にエロティックな映画でした。
監督 : カルロス・サルダーニャ
声 : ジェシー・アイゼンバーグ、アン・ハサウェイ、ロドリゴ・サントロ
2011年 / アニメ・アドベンチャー / アメリカ・ブラジル / 96分

リオデジャネイロで生まれたコンゴウインコのブルーは雛のときに捕えられ、アメリカへ売られてしまう。だが、搬送中に逃げ出し、心優しい少女リンダに助けられる。15年後、ブルーは本屋を営むリンダと一緒に、穏やかに暮らしていた。ある日、店に現れた鳥類研究家のブラジル人チュリオは、ブルーは貴重な品種の雄鳥だ、と告げる。リンダとブルーは、チュリオの研究所にいる雌鳥ジュエルに会うため、ブルーの故郷、リオデジャネイロを訪れる。

ジェシー・アイゼンバーグ、アン・ハサウェイ、ジェイミー・フォックス、ロドリゴ・サントロという豪華キャストが声を担当している。サルダーニャ監督(『アイス・エイジ』シリーズ)はリオ出身。

公式サイト : http://www.rio-themovie.com/


予告の動画を見たときに、ジャングルの鳥たちの鮮やかな色彩に心奪われて見ることに決めた1本。
サウンドトラック ビデオ http://www.youtube.com/watch?v=xlXlbAfxnHk

その後、この秋に予定されていた日本公開が突然中止になったことを知る。
もともと3Dで作られていたけれど、当然映画祭では2D上映。

2Dで見ても素晴らしいと思ったけれど、これは3Dで見たくなる素晴らしい映像美。
鳥が主人公だから空中の飛行シーンが多くて(とはいっても題名から察せられるとおり、主人公のブルーはペットとして飼われていたので飛べない)、しかも舞台になるリオデジャネイロは起伏の多い地形で、例のキリスト像を巡って街を見下ろす視線とか、斜面を這い上がるように密集するスラム街とか、海岸線の向こうに見える急峻な丘とか何もかも絵になる(絵なんだけど/笑)。
カーニバルも壮観。

それから音楽もいい!ブラジルだからサンバなんだけれど、そのほかにも懐かしいPOPsとか(私に音楽のジャンルとか歌手の名前とか聞かないで……だれでも知ってる有名な曲)が効果的に使われている。

ストーリーとしては、ブルーとジュエルの鳥カップルが、その希少性からギャングに攫われて売り飛ばされそうになり、そこから逃げる逃亡劇と、飼い主のリンダと鳥類研究家のチュリオがブルーたちを探しながら仲良くなる2ライン。
どちらも気の強いOR目的のはっきりしている女性と、それに引っ張られるヘタレな男性という組み合わせでちょうど写し絵のよう。
ギャングに飼われている凶悪な白いインコと、その手先となる猿軍団がまたいい味だしてる。

途中でハンググライダーの飛ぶシーンが出てくるのだけれど、昔やってたんでそのときの飛ぶ感覚を思い出してとてもワクワクした。
3Dは「ヒックとドラゴン」しか見ていないけれど、ドラゴンに乗って飛ぶ飛翔感とはやっぱり違う。3D公開が今からでも実現するものならぜひ見に行きたい。
BLACK BREAD(英題)
監督:アグスティ・ビリャロンガ
出演:フランセスク・コロメール、マリナ・コマス、ノラ・ナバス
2010年 / ドラマ / スペイン・フランス / 113分
2011年ゴヤ賞作品賞・監督賞・主演女優賞ほか(全9部門)・サン・セバスティアン国際映画祭主演女優賞

舞台はスペイン内戦後のカタロニア。11歳の少年アンドレウは、森の中で崖下に転落した馬車を見つけ駆け寄るが、父親の遺体のそばに倒れていた幼子は「ビトルリア」と、謎の言葉を残して息絶える。「ビトルリア」とは森の洞窟に住むと噂される幽霊の名前だ。警察は、事故は何者かに仕組まれた殺人と断定。アンドレウの父ファリオルに嫌疑がかかる。間もなくアンドレウは農村に住む祖母の元へ身を寄せ、父ファリオルは逃亡。父の無実を信じる純粋なアンドレウに、従妹のヌリアらは、大人社会の現実を話して聞かせる。

フランコ政権による厳しい弾圧が行われていた冬の時代を一人の少年の目を通して描いたサスペンス。2011年のゴヤ賞最多9部門受賞ほか数々の映画賞を受賞し、スペイン本国で大ヒットした。

配給:アルシネテラン 2011年、銀座テアトルシネマ他にてロードショー

公式サイト & 予告編 : http://pannegro.com

(映画祭サイトより)


冒頭の、馬車が崖下に転落するシーンが陰惨で、一気に映画に引き込まれる。
スペイン内戦後の弾圧期を舞台にしているものの、社会的な背景は直接描かれない。右派(勝ち組=白パン)と左派(負け組=黒パン)との差別や抜け出せない貧困、内戦の傷跡が大人たちを歪ませ、過去を隠すための嘘や大人の都合で振り回される生活が、子どもたちを傷つけていく。

馬車の転落事故が事故ではなく、過去に起こったとある事件が引き金になっていることが次第に明らかになり、そのためにさらに悲劇が繰り返されるあたりは、少し横溝的な雰囲気もある。土俗的な、ムラ社会的なところもあるし。少しずつ事件が明らかになっていく様は、まさにどんどん森に踏み込んでいく感じがする。

うっそうとした森が世界を取り囲んでいるところは「パンズ・ラビリンス」を思い出させる。
あちらは少女が辛い現実を幻想の国に見立ててそこへ逃げていくけれど、こちらの作品では少年が現実を目の当たりにし、人の皮をかぶった魔物が跋扈するような現実の世界に踏み込んでいく。

主人公のアンドレウは、曇りない目で大人たちのすることを見つめる役で、子どもらしい可愛らしい少年ではないけれど、真っ直ぐで、何もかもを見通そうとする意思の強さがある、不思議な眼差しを持っている。
主人公を演じたフランセスク・コロメールは、学校に来たオーディションを、ほとんどみんなが受けるから一緒に受けてたまたま選ばれたのでもともと役者を目指しているというわけではないそうだ。

この映画に出てくるのはほとんど、何か後ろめたいことがある大人や虐げられた子どもばかりだけれど、唯一きれいな目をしているのが、結核で教会の敷地の一角に隔離されている人々の一人の青年。
主人公は現実を知るにつれてどんどん心を閉ざしていくのだけれど、この浮世離れした青年にだけは心を開く。けれど、この青年もいずれ死ぬことが暗示されている。

(モードチェンジ)
で、ゲイテイストは過去の事件に絡んでいるのだけれど、それよりもアンドレウと青年との関係がドキドキしてしまいます。
なんといっても青年が美しくて。青年からは「近づいちゃいけない(病気がうつるから)」と言われるのに、気になって仕方がなくて迷ったり不安があったりすると会いに行ってしまうあたり、いくらでも邪推できそう(笑)。

ところがこの青年役については公式サイトにも名前が出てない! だめじゃん公式。わかってないなぁ。

ま、この美青年のことは置いておいても、様々に想像力をかきたてられる、いい映画でした。
試写会に当たったので見てきました。
公開は10月1日なので、ねたバレを避けたい方は以下はお読みになりませんようご注意ください。





事前情報は、ライトノベル原作だということと、「お姫様を飛行機に乗せて敵地を抜けて本国へ届ける任務の間に芽生える身分違いの恋」ということ。
(写真は原作本です)

(公式)http://www.hikuushi-tsuioku.com/

よくも悪くもライトノベル原作だなぁ、と思いました。
上映前の説明では
・身分違いの恋
・空中戦シーンの迫力
が売りのようでしたが、どちらの筋をとっても、最初のほうでもう1,2シーン、状況を説明するようなシーンを付け加えれば、クライマックスへ向けて緊迫感が断然ちがってきたように思うのです。
もし原作にそういうシーンがなかったとしても、アニメ化に際して付け加えることはできなかったのか。

それと、これは高望みでしょうけれど、翌日見たfoxのアニメの飛行シーン(鳥ですが…)があまりに素晴らしいので、ちょっとこちらは見劣りしてしまうのが残念。

ちょっぴり消化不良ぎみでした。

(公式)http://www.alcine-terran.com/paperbird/

フランコ独裁政権下のスペイン・マドリード。内戦で妻子を失った喜劇役者のホルヘは、相方のエンリケと、エンリケが引き取った孤児ミゲルと3人で生活を始める。ホルヘは軍部に反体制派の容疑をかけられるが、それでも仲間たちと舞台に立ち、観客に笑いを届けようとしていた。やがて自分を父親のように慕い、必死で芸を覚えようとするミゲルとも打ち解け、生きる希望を失っていたエンリケの心は癒されていくが……。2010年モントリオール世界映画祭で観客賞を受賞したヒューマンドラマ。(映画.comより)


書こう書こうと思いながらついつい書き損ねていた映画。
先週15日~昨日(19日)まで新宿で開催されていた第8回ラテンビート映画祭で、いくつか見た映画の感想を書こうとして、昨年の映画祭で上映後、この夏に公開されていたこちらの映画の感想をまだ書いていなかったことに気づきました。

スペイン内戦というと第二次大戦当時のことなのに、その後のフランコ軍事政権は75年まで続き、その間左派や文化人は弾圧に苦しめられていたそうです。もちろん、密告や処刑もあっただろうし、いわれない罪で投獄されれば地獄のような日々が待っている。
75年って、つい35年前。いま40代以上のスペイン人なら、当時のことを覚えているわけです。そういうところ、日本人には計り知れない想いがあるのだろうなぁ。

この映画でも、ホルヘは当局に目をつけられて、劇団にはスパイもいる。威張り散らす軍人に、笑いで反骨精神を示す芸人の生き様と、彼に芸を学んでいく子ども。映画の最後に、現代の場面で年老いた舞台芸人が当時を振り返る言葉は涙なくして見られません。
ベタな展開でずるいとは思いつつ、やっぱり堪えきれないんですよね……。

という真面目な感想の裏で、ホルヘの舞台での相棒エンリケはゲイでホルヘに想いを寄せており、ホルヘもエンリケの気持ちに気づきながら友人であり相方としての立場を固持するところが萌えたり。この2人と孤児ミゲルの3人が擬似家族のような関係になるところも萌えたり。
(以下ネタバレ)

ラストに出てくる年取った芸人はミゲルなのですが、彼が謝辞を述べるにあたって「僕の両親、ホルヘとエンリケへ」と言われておおっと!と思ったり。
劇団のスパイである青年が、ホルヘとの交流を経て親しみを感じて、最後に逃亡するホルヘに向ける銃を撃てなかったり。
なんてあたりも萌え満載(笑)。


(ネタバレ終わり)
そんな訳で大変面白おかしく感動する話でした。
ひとつ難を言えば、ホルヘとエンリケの芸は漫才の歌なのですが、この歌詞を、笑いどころが分かるように訳して字幕にするのは不可能だろう、ということ。
曲だけでも陽気で楽しいのですが、スペイン人が聞くようには笑えないのが寂しい。
先週月~水までNHK BSプレミアで放映していた、英BBC制作のドラマ。

NHK公式 http://www9.nhk.or.jp/kaigai/sherlock/

いつの間にか古典的な探偵の代名詞となってしまった「シャーロック・ホームズ」。しかし、元来、彼は非常に現代的な男だった。
シャープで気難しく、ちょっとアブナイ男。今、シャーロックがその本来の姿で戻ってくる。

自称「コンサルタント探偵」のシャーロック・ホームズと、元軍医ジョン・ワトソン。シャーロックの頭脳とジョンの現実主義が融合し、複雑な迷路のような謎をひもといていく。

コナン・ドイルの原作を大胆にアレンジした「21世紀版シャーロック・ホームズ」。2010年、イギリスBBCで放送され大反響を呼んだ話題作。


現代を舞台にしたシャーロック、と聞き、写真の二人を見る限り、初めは全然期待していませんでした。
シャーロキアンでもないし原作もまともに読んでいないし、ジェレミー・ブレット版のドラマも見てませんでした。
ただ昨年公開されたリッチー版ホームズが楽しかったので、その流れでいちおう押さえておこう、程度の気持ちで見ました。

で、なんかはまっちゃった?って感じです(笑)。

ホームズについては一般教養程度にしか知らないのですが、上手く現代に置き換えているなぁと。
まさに19世紀のホームズは現代で言えばソシオパスみたいなものだったんでしょうし、ワトソンはアフガンでの戦争帰りの軍医なんて、現代でもそのまま使える設定ですし。
ホームシェアリングする独身男性二人はやっぱりカップルかと思われるし(笑)。
携帯電話が普及したことでそれまでのミステリが成立しなくなった部分もありますが、逆にこのシャーロックは携帯電話駆使してるし。
ワトソンはホームズの事件を本ではなくブログに書いているし、シャーロックも自分でサイトを持ってるし。そこにモリアーティが偽名でコメント書き込むし(笑)。

なんというか。制作者たちもシャーロキアンらしく、その原作への愛を思う存分細部に至るまで注ぎ込んでいるあたり、ジャクソン版指輪物語に通じる通好みな造りになっていて、その溢れる愛は原作を知らない人にも伝わるんだなぁと思います。

正直、シャーロックを演じているベネディクト・カンバーバッチって、変な顔ですよね。長いし。(←身も蓋も……)爬虫類っぽいし。
でも、しばらく見ているといつの間にか目が離せなくなってるんです。
で、録画したのを(シーズン1は90分×3回)×3回くらい見返していると、いつの間にかシャーロックが艶っぽく感じてくるんです。
変だ……おかしい。

ちなみにワトソン役のマーティン・フリーマンは、ジャクソン監督が撮影中の「ホビットの冒険」でビルボを演じていますが、カンバーバッチはラスボスのドラゴンの声を当てるらしいです。
ドラゴン、と聞いて心底納得します。(爬虫類顔だから)

シーズン2は先日撮影を終えたらしく、来年早々にイギリスで放映予定。
日本に来るのはその後か……。
待ち遠しいです。
そんな訳で、見比べてみようとさっそく映画「モールス」のオリジナルをレンタルしてきました。

見比べると、「モールス」はずいぶん効果的に音楽を使っていることがよく分かります。
なんでもないシーンでも、音楽が不気味さを際立たせていました。
いっぽうで「ぼくのエリ」のほうは、あまり音楽を使わず、非常にストイックな映画でした。
教室とか、主人公オスカーの家など、素っ気ないほどにシンプルで、まるで抽象画のような雰囲気。
ただ、びっくりしたのは「モールス」がビジュアル面でもかなりオリジナルを模している部分が多いこと。
そこはもっとあの手この手を考えてもよかったのではないか。

逆にエピソードはあまり作りこまずに淡々と話が進んでいくので、「モールス」のような隠された意味、みたいなものはなくてこちらもシンプルかな。

どちらが好きかといわれたら、うーん、「モールス」かなぁ。やはり刷り込み効果で先に見たほうの印象が強いのかしら。
(まだ密林に映画DVD情報が上がっていないようなので、原作の翻訳本の写真を載せています。)

話題になっていたスウェーデンのヴァンパイア映画「ぼくのエリ 200歳の少女」は映画館で見逃して、DVDを借りて見ようと思っているうちにハリウッド・リメイク版が公開されたので、こちらをレディースデイに見てきました。

事前に、ハリウッド版はオリジナルそっくり、こんなに間を置かずにリメイクする必要はあるのか、といった感想があることは知っていたので、そういう意識で見たところはあるかも知れませんが、そうは言ってもハリウッドにしては説明を極力抑え、見る者の想像力を喚起させるのはよかったです。
特に、少女アビーの保護者である男性の運命が、いずれ(略)とほのめかす部分は秀逸。
過不足なく説明していく脚本の無駄のなさがハリウッド的だなぁと思いました。

ただ、少女に恋をする少年オーウェン役の子が、どうもイマイチ可愛くなく(汗)。
クロエ・モレッツが可愛いだけに惜しい。
「キッズ・オールライト」でアカデミー助演男優賞にノミネートされたマーク・ラファロの初監督作。
というか、オーランド・ブルームの久々の出演作。
前情報なく日本版DVDのジャケットを見て、この作品の主演を一度で当てられたらすごい!(笑)

伝説的DJとして名を馳せていたディーンこと“デリシャスD”だが、事故により体が麻痺し、スラム街での車上生活を強いられていた。そんな時、彼はジョーという情熱的な神父に出会う。ある日、ディーンは、自分が人々を治癒する力を秘めている事に気づく。だが、運命のいたずらか、自分自身を治癒する事は出来ない。神父ジョーは彼の力を用い、不自由な人を治していくと、たちまち彼の周りは人で溢れかえる。ディーンは次第に欲を覚え、この力を富と名声を得る為に使う事に決める。彼はかつて成し得なかった音楽での成功へとぶつけるべく、カリスマ的リーダー“ステイン”率いるロックバンドに加わる。そこでベーシストのアリエル、マネージャーのニーナ・ホーグと共に新たなステップを歩み始めようとするが……。



主演のクリストファー・ソーントンは、演劇学校在籍中に登山中の事故で実際に半身不随となった。それでも車椅子に乗ったまま舞台俳優として活躍していたけれど、やはり得られる役に制限があるため、車椅子の人間が主人公の映画脚本を自分で執筆。ルームメイトだったラファロが脚本を読んで映画化を決意したとのこと。

寓話的なモチーフで、シンプルな筋立ての中に様々な人間模様が盛り込まれていておもしろいのだけれど、うーん、もうちょっと脚本が整理できたんじゃないかと感じるところが残念。
ディーン(とそのギフト)を中心に、神父(聖)とパンクロッカー(俗)を対照的に配置して、Dがそれぞれに揺れたり、それぞれがDの力に対して渇望したり嫉妬したり、聖と俗が入れ替わったり、というような絵が見えるともうちょっと洗練された感じになったと思う。
でも、最後のエピソードがとてもよかったし、見終わった後もいい印象が残る佳作ではあると思う。

……日本版DVDのジャケットに惑わされてあらぬ期待を抱かなければね(笑)。


試写会で見てきました。

1979年。オハイオの小さな町に住む14歳のジョーは、仲間たちとの8mm映画作りに没頭していた。ある日、真夜中に家を抜け出し、駅に忍び込んで撮影をしていた彼らは、貨物列車が脱線・炎上する大事故を目撃してしまう。まもなく町に大挙してやってきたのは、武装した空軍関係者。あの列車で、空軍は極秘裏に“なにか”を運んでいたのだ。やがて町では、飼い犬が姿を消し、車のエンジンのみが盗まれるなど不可解な事件が続発。さらに9名の行方不明者が出るなど、事態はどんどん深刻になっていく…。(goo映画より)

グーニーズ+エイリアン。
以下、ネタバレを含む可能性アリ。





子ども達のひと夏の冒険もの映画好きにはたまらないが、今の日本人には描写がちょっとキツいかもしれない。
というのも、70年代?アメリカ地方ののどかな街で、突然電車の車両がひっくり返ったり車が転がったりコンビニのガラスが吹き飛んだりするから。しかもエイリアンの姿は初めは見えないので、圧倒的な自然の力によって、日常の中に非日常な光景が出現するのは、まるで震災の映像を見ているようで、妙に現実的に感じてしまったから。
被災者のみなさんは元より、ニュースの映像でもPTSDになることがあるそうなので、心当たりのある方は気を付けてください。
また、敵の姿が見えず、対処法もないところは、まるで放射能に対して無力な自分たちの姿とも重なっちゃったな……。

せめて日本公開版では最後に元の平和な街並みのシーンが入ってればよかったなぁ。

主人公は、グーニーズやスタンド・バイ・ミーの伝統を踏襲(笑)して、ちょっと内向的で家族との間に問題を抱えている少年。でも面白いのは、でぶっちょくんがリーダー格だというところ。あとグループに途中参加だけれど少女が一人入ったこと。
少年と父、少女と父、そして少年と少女、父親同士の葛藤と理解は説得力があり面白かったけれど、グループのほかのメンバーの描写が弱くて類型的になっていたのが残念。

あと、クリーチャーがどこかで見たことあるような顔なのと、人間への恨みを持っているところが紋切り型でもったいない。
ただ単に(以下伏字) 母星へ帰る船を作りたいという理由だけではホラーとして弱かったのか…?

いろいろもったいない映画でした。でも、期待していたものが、本来の作品の目指したものと違っただけかも。

あ、でもエンドロールはとてもおもしろかった!

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